るろうに剣心について質問です。
人誅編において、初めて剣心と縁が闘って、互いに奥義と絶技を放つ前、なぜ縁の中の巴は微笑んでいたのでしょうか?
予想でもいいので、皆さんの考えを教えてください!
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あれは実際に巴が化けて出てきているわけではなく、あくまで「縁の中の巴」ですから。
縁が「姉さんはこう思っているはずだ」という思い込みの産物です。
縁は「姉さんは自分に仇をとってほしいと思っている」と信じて疑っていないわけですから、剣心に絶技を放つ=剣心を抹殺できる→姉さんの(縁がそうだと思っている)願いを遂げられる!→(縁的には)巴の望むこと(だと思い込んでいること)をしているので(縁の中の)巴は微笑んで見えた、ということです。
結局のところ縁の独りよがり、ということですよ。
追記です。
後の方の回答が自分に向けられている部分が在るようなので・・・
上海の件は、縁に見えている巴が「脳内巴」であることの一番顕著な例ですよ。
「剣心に誅を下すためならなんだってやる、他はどうでもいいし何をやってもいい(と姉さんは望んでいる)」→「剣心への復讐に向かう限り、常に姉さんは自分に微笑みかけてくれる(=自分は正しいことをやっている)」という思い込みの表れです。一種の免罪符ですね。
また、描写こそないものの、台詞などから縁は上海の一家以降もばっさばっさ人を斬り殺していることが伺える(というか腕っ節でマフィアのボスまで上り詰めているので殺していないわけがない)わけですが、剣心との最初の対決の際に、微笑む巴の姿がずっと見えているようなことを言っていました。
さすがに何人も殺しているのを微笑みながら見ているって、それはもう優しいとか言う次元ではないんじゃないかと。
生前の巴はそんな偏執的な人ではなかったと思います。
そもそも、剣心と縁、それぞれに見えている違った表情の巴、という表現が、巴に対する2人の思いを示しているわけで。
縁にとっては己の正当性を示すもの(姉さんが微笑んでくれている→自分は正しい)
剣心にとっては過去の罪の象徴(自分に見える巴は微笑んでいない→自分は許されていない、許される資格がない)
として巴の姿を見ている、と思えます。
だからこそ、正しいはずの自分が敗れる(自分が正しいと思っていることが行えない)際に「縁の巴」は微笑んでくれなくなりましたし(自身の正当性が揺らいだ)、
過去を受け止めて「戦いの人生を完遂する」と先に進む覚悟を決めた「剣心の巴」は最後に微笑んでくれた上、姿が見えなりました(許される道を見つけ、過去の呪縛から開放された)。
…というあたりが、人誅編で縁・剣心それぞれの見ている巴が「各々の中の巴」と考える根拠です。
ただ、夢の中で「あなたが微笑えば あなたの中の私は いつでも一緒に微笑います」と言ってくれた巴はあの世から剣心の枕元に立ってくれた、と思いたいですね。
あの場面の巴だけが死後唯一人と言葉を交わしていますし、なによりそのほうがロマンチックですからね。
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だったら何故、上海に渡った時、助けてくれた一家を殺した時も微笑んでいたのかという疑問が出てきませんか?
巴は優しいので、どんな時も縁を心配し、微笑んでいたのだと思います。
でも、剣心を廃人にするまで追い込んで、それに今まで縁がやってきた数々の許しがたい行いが加わり、もう微笑むことさえ出来なくなったのではないでしょうか。
縁は剣心に敗れるまで自分がしてきたことを信じ続けていたので、
それが巴に反映されるとは思いませんよ。
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