「るろうに剣心」について。
剣心の最愛の人はやはり巴なのでしょうか?
確かに薫とは結婚をし、子供まで授かっていましたが、名前の呼び方は「
巴」のように呼び捨てではなく「薫殿」です。
一人称も「拙者」です。
剣心は、師匠との会話のように素でいる時は一人称は「俺」になっているのだと私は思っています。
ということは薫と接している時の剣心は素ではない、ということになりませんか?極端に言えば「作っている」ような…
薫の前では素になれないのでしょうか?
なんだかまとまりのない文章になってしまいましたがご回答頂けると嬉しいですm(_ _)m
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「素ではない」わけではなく、「心太」~修行時代の「剣心」~人斬り「緋村抜刀斎」を経てるろうに「緋村剣心」へと行き着いたという印象があるので、「緋村剣心」にとっての最愛のヒトは呼称は関係なく薫だと思いますよ。
作られた人格というよりも、「おろ~」と目を回し女性皆に「殿」呼びするような人間性に落ち着いたという風に感じます。
ただ話が矛盾するようですが、薫の死体を目の当たりにした時には抜刀斎時代の感覚に戻ったのか素が出たのかは分かりませんが、「俺はまた一番大切なひとを守れなかった…」「薫」と呼んでいたので、いずれにせよ特別な強い想いはあるものと感じます。
巴が剣心と清里を比べられなかったように、剣心にとっても巴と薫のどちらをより強く愛したかというのは比べられないと思います。
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私も他の方の回答と同じよう(?)、「抜刀斉」と「緋村剣心」の違いだと思います。
そして、剣心にとっては二人共「最愛の人」なのではないでしょうか。
矛盾していますがそうでなければ逆にしっくりときません。
原作ではありませんが、OVAの「星霜編」を見るといかに剣心が薫を好きでいかに薫が剣心を好きかということが明確にわかると思います(^ω^)
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それは無いと思います。
女性に対して「~殿」と付けたり、一人称が「拙者」であるのが「剣心」の素なんだと思います。
反対に呼び捨てや「俺」は、「抜刀斎」の素なのでしょう。
「人斬り抜刀斎」から「流浪人の緋村剣心」へと変わったことの証として、剣心は自然とあの口調が身についたんだと思います。
また比古師匠のもとで「俺」になっているのは、おそらく人斬り抜刀斎よりも以前――「修行中の少年時代の剣心」と同じ状態なんだと思います。心太は「僕」でしたが、その後の剣心は「俺」になってましたからね。
巴のことも、夢の中で出会った時の会話を通じて、「過去の古傷」から「想い出」へと昇華できていたと思います。
あれ以前の時点では他の誰かを愛することに対して、意識せずして巴の存在が脳裏を掠めていたでしょうが、あの後は完全に振り切れていると思います。巴の幻を見なくなったというのは、そういうことでしょう。
そして最終的にも、十字傷が少しずつ薄くなっているのは、剣心にとって贖罪が少しずつ前に進んでいる証なんでしょう。
それが出来ているのは、まず間違いなく薫という存在がいるからです。
よって、今の剣心にとっては薫が最愛の人だと思います。
ただ「今の」であって、内心では二人とも甲乙付けがたい存在かと。
おそらく巴の存在は、もはや剣心の心の一部となっていて、自らの内に潜むそれを認識・肯定した上で薫を愛しているのだと思います。
あくまでも私見ですので、他にも異見はあると思いますが――。