『るろうに剣心』について。
京都編最後の、剣心と志々雄の対決について質問です。
もし明治十一年ではなく、幕末の頃に二人が戦っていたら、どういう風な結果になっていたと思いますか?
剣心は『人斬り抜刀斎』として。志々雄は身体を焼かれる前の影の人斬りとして。
お互い全盛期の状態です。
|||
原作のセリフや内容から考えて
剣心の強さ:
奥義習得後の剣心≧遊撃剣士時代の抜刀斎>影の人斬り時代の抜刀斎
志々雄の強さ:
明治の志々雄>焼かれる直前の志々雄>影の人斬りを継いだ頃の志々雄
京都編の結果から、最終的な強さは、明治の志々雄>奥義習得後の剣心。
問題となっている幕末期の最終的な強さですが、
まず、影の人斬りよりも遊撃剣士のほうが実戦も多く、また新撰組などの強者たちとの戦闘も多かったと考えられます。
二人が実戦の経験から腕を磨いてきたことを考慮すると、
遊撃剣士時代の抜刀斎>焼かれる直前の志々雄、だと言えそうですが、
大久保利通が言うには、二人は「剣の腕も、頭の回転も同等」だったらしいので、
遊撃剣士時代の抜刀斎と焼かれる直前の志々雄の実力に、それほどひらきはなかったと考えたほうがいいかもしれません。
考えてみれば、影の人斬りを継いだ直後から、焔霊(ほむらだま:ある程度人を斬り殺していないと出来ない技)を使えたところを見ると、人斬りの仕事以外のところでも実戦を積んでいた可能性があります。
それでも姿を公に晒すことが許されない影の人斬りをやってこれたのは、対峙した相手を確実に葬り去ってきたからかもしれません。いくら抜刀斎でも、そう簡単に倒せるとは思えないです。
結論:
実力は、遊撃剣士時代の抜刀斎≧焼かれる直前の志々雄。
もし幕末期に二人が戦っていたら、抜刀斎vs斎藤のように、一回ではなかなか決着つかない、長期の宿敵となっていた。
|||
志々雄って所詮後釜ですし焼かれたからこその強さだと思います。
ですから剣心がはるかに上です
|||
二人とも人間だった時は圧倒的に剣心が強いと思われます…
強いから、担がれたのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿