「るろうに剣心」の斎藤一。
彼の行動原理は剣心と同じで「悪を倒す」ということでしょうか?
ただ、剣心と違うのは、
・敵は容赦無く斬り殺す(たとえ、やむをえず悪になった人でも)
・足手まといになるようなら、仲間はいらない
・弱き人、平和を守るために戦っているわけでは無い
ということでしょうか?
|||
斉藤は渋海と赤末を殺した際大久保だろうが私欲に溺れこの国の人々に災厄をもたらすなら悪・即・斬のもとに斬り捨てると言っていることから人々のために戦っていますよ。かつての人斬り時代の剣心に対しても自分と同じ信念を感じていたと思います。 忘れたか悪・即・斬それが新撰組と人斬りが共有した真の正義だったはずと言っていますね。剣心は不殺の信念を掲げ斉藤に糾弾されていますが。斉藤も剣心も人々のために戦い守るということから信念は違えど互いに同じ思いを抱いていると思います。 斉藤は孤高で誰とも相容れないと剣心皆伝で読みました。
|||
剣心は弱い人のために剣を振るっているわけですが、その出所は「自分が過去に犯した事への償い」からくる自責の念です。
要は自分が少しでも罪の意識から逃れたいがためのエゴとも言えます。
(ただ剣心の考えは間違ってはいません)
むしろ斎藤の方は幕末の頃から人々のために戦っています。国民にとって危険と判断すればなんであろうと敵です。
自分が嫌われものになってもかまわないというスタンス。
斎藤はああみえて同志は大事にしますよ。
一匹狼にみえて誰より集団行動を大切にします。
|||
剣心と斎藤の行動原理が一緒という点には疑問がありますが、
斎藤が自ら「悪」と判断した者を容赦なく斬るのは正解です。
やむなく悪事に手を染めた者を斬るのかは、時と場合による
のでは。斬り殺すにも値しない輩と見なすかもしれませんし。
斎藤は、自らが「仲間」と判断した者との絆を大切にする一面が
あります。「誠の旗の下に散った狼達の鎮魂のためにも、
京都大火は絶対阻止だ。」の台詞にそれが表れてます。
一緒に闘う事が多い剣心や左之助は、利害上の共闘関係であり、
彼にとって「仲間」ではないんでしょう。彼の「仲間」の
範疇はものすごくシビアだと思います。
ずばり、斎藤の「悪・即・斬」は人々の安寧のため、より具体的
には、それを保障する国家機構を保つためにあります。
新選組から警察へと身の置く場所を変えても、この一点は不変です。
渋海を殺す時の彼の台詞を見れば一目瞭然じゃないですか。
7巻から17巻の再読をオススメします。
|||
というか、剣心の行動原理は「悪を倒す」じゃなくて、「弱い人を守る」だと思います。師匠の元を飛び出して維新志士になったときから、根本は変わってないと思います。
守るために、誰かに不条理な危害を加える人を倒さなきゃいけなくなるだけで、「倒す」って方向性では考えていないのではないかなと。
とにかく「悪なら斬り捨てる」だけで、「誰かのために」とは多分ひとつも考えてない斎藤は、仕事人というか、ダーティーヒーローって感じですね。
その「悪」も、斎藤本人が見定めた「悪」なので、確かに誰にも飼えません。
|||
悪・即・斬――ですからね。概ね間違っていないかと。
ただ剣心の場合は「悪を倒す」というよりも、「幸せな人を守る」という意識の方が先行しているように思えます。
あと斎藤の正義はあくまで自分自身の正義であり、いわばエゴです。
まぁエゴという意味では剣心も似たような処がありますが、そのエゴで悪ならば即ちこれを斬るという点は、やはり剣心の「不殺」とは相容れないものがお互いにあるのでしょう。
もっとも――そんな傲慢とも言える部分も含めて、斎藤はカッコイイんですけどね(>_<)b
|||
斉藤一は、そういう考えをもっているのだと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿