2012年3月18日日曜日

るろうに剣心の飛天御剣流の修行を剣心が中断せずに最後まで師匠の比古清十郎のも...

るろうに剣心の飛天御剣流の修行を剣心が中断せずに最後まで師匠の比古清十郎のもとで受けていたら、身体や精神に負担が掛かることはなかったと思いますか?

、師匠の比古清十郎のように飛天御剣流の技を発動しても肉体への負担を軽減できる体や人斬り抜刀斎を生み出さない精神的な強さを剣心は最後まで修行をしていれば持つことができたと思いますか。


|||



尊皇攘夷活動に加わらず、少なくとも18~20歳くらいまで比古の元で過ごしていたら、精神面、平たく言って性格や人間性はかなり変わっていたと思います。

経験(人斬りを含む一連の活動+巴との一件)もそうですが、特定のひとりの人間相手と不特定多数の人間相手とのやりとりで形成される精神は異なると思うので。そういう意味では、比較してどっちのほうがより強い、弱いかは判定しづらいですね。

でも、出奔しなければ人斬りにはならなかったかもしれませんが、その代わり比古以上に世捨て人のように暮らし、自分から誰かを助けるということはしなかったのではないでしょうか。



身体のほうはもっと判断が微妙です。

まず、成長期の負荷を差し引いても、遺伝上元から痩せ型・小柄なたちであった可能性が大きいです(時代から考えて)。むしろ一般的には比古のような体格のほうが特殊だといえます。

現代のトレーニング理論からいえば、成長し切ってから筋力トレーニングなどの身体作りをすべきであり、比古にもゆくゆくはその算段があった可能性もないとはいえませんが、彼の性格や、10歳かそこらから剣術の基礎に留まらず飛天御剣流を叩き込んだという事実から、そういったリスク自体考えていなかったのではと考えられます。

また、比古-剣心師弟の代でストップするまでは、歴代の使い手は弟子の奥義会得と引き換えに亡くなっていたので、恵に指摘を受けるまでは(剣心と似た体格の使い手がいたとしても)誰も気付いていなかった可能性もあるかと思います。



長らく読み返していないので、作中の描写と矛盾があったらすみません。



|||



縁もゆかりもない人たちが殺されて、その人たちの墓をつくった剣心が

動乱の時代にそれを傍観して修行し続けてたは思えません

見ない、聞かない、何もしないことよりも体の負担・精神の負担がかかる事の方を選んだと思います

師匠にしても剣心が動乱に飛び込もうとした時に止めようとしたのは

自分も飛天御剣流が諸刃の剣である事ととそれを使い続けていくとどうなるかを知っていたのだと思います

師匠の若いころの話で外伝できそうですけどデタラメに強いですから挫折とかなさそう・・・



修行し続けていた剣心は修行を中断した剣心より強くはないと思います

修行し続けていたらなにも守るものがないのですから

0 件のコメント:

コメントを投稿